1980年頃に聴いていた曲についての記憶メモ

BGM『Back Ground Music』をレコーディング/リリースした1980年頃に聴いていた曲についての記憶メモ。何が自分を突き動かしていたかということを振り返りつつ。



1989年、『メタルボックス』 がそろそろ日本にも入って来そうな頃、僕は輸入盤店を毎日覗きに行っていたので、入荷日にメタル缶を買って帰る時の気持ちは特別なものがあった。正直今聴くと"Albatross"とかリズムがかなりヨレヨレだし色々と粗に目が行って、リアルタイムで聴いていた時と少し印象が異なるのだけど、このアルバムは自分の当時の指標であり、本当に繰り返し聴いた。PILはパンクからポストパンクへと切り替わる時代を象徴する存在で、彼らの果たした役割は非常に大きかったなと思う。2本目の動画は『メタルボックス』のプロモーションでBBCの"Old Grey Whistle Test" に出演した時のスタジオライブ。ダブ・ベースとディスコビートの上を飛び交うプロフェット5のひしゃげたノイズ。


Public Image Limited




1stアルバムに初めて針を落とした時にちょっと他のポストパンクのバンドと違うなというか、キングクリムゾンっぽいというか何処かプログレっぽいというか、善くも悪くも構成の細かさにひとつ上の世代のアヴァンギャルドの匂いがして少し距離を感じたのだけど(実際にドラムのチャールズ・ヘイワードはクワイエット・サンのメンバーだったり、それなりのキャリアを積んでいるのを後から知って納得)、このシンプルな"24 track loop"はかなり好きで聴いていたし、1stの1年後に出た1980年の12インチシングルのA面 ”Health And Efficiency”(の後半)はポストパンクというジャンルを越えたレベルで突出した曲だと今でも思っている。 


This Heat




パンク・ファンジン「Sniffin' Glue」のファウンダーであるパンクのキーパーソン、マーク・ペリーのバンド、オルタナティブTV。1978年の1stではそれなりに普通にパンクバンドだったのが、1979年の2nd『Vibing Up The Senile Man (Part One)』では一気に静謐で実験的な音へと振り切れたことに象徴されるように、この頃の雪崩を打つような同時多発的な変化は非常に刺激的だった。 


Alternative TV




湿り気のあるUKの音とは全く異質なカラッカラに乾ききった非情な音。コントーションズ、ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークス、マーズ、DNAという無名の謎のNYの4バンドをイーノがプロデュースしたコンピ『No New York』は、最早3コードも必要なく、どんなやり方でやってもいいんだと僕に教えてくれた。特にDNAが好きだったのだけど、アート・リンゼイがインタビューで「DNAの演奏に即興は一切無い」と語っていたことも強く印象に残っている。衝動とクールネス。自分が音楽を作ろうと思うキッカケとなった1枚。


DNA




ストラングラーズのベーシスト、J.J.バーネルのソロ・アルバム『Euroman Cometh』。ストラングラーズのイメージとはかなり違い、両親がフランス人であるJ.J.のルーツ回帰的な意味があるのだろう、タイトル通りヨーロッパ的でエレクトロニックな音作り。当時あまり評価されていなかったけど再評価されてもいいのではないかと思う。


J.J. Burnel




70年代後半は停滞していたドイツから突如現れた新しい波(ドイツの情報があまり入って来てなかっただけだとも思うが)。1980年に英ミュート経由でリリースされたDAFの2ndアルバムと7インチ・シングルはパンクのエナジーとエレクトロニックなミニマリズムが合体したものだった。アルバムの方はギターがうるさくてまだ焦点が絞られてない感じだったけれど、シンセの解釈として70年代のタンジェリン・ドリームなどのメディテーション・ミュージック的な使い方や、クラフトワーク的な仮想未来的なイメージ、そして当時のNWのエレクトロニック・ポップとも異なっており、これはちょっとした発明なのではないかと思ったのを憶えている。


Deutsch Amerikanische Freundschaft




ワイヤー解散後のブルース・ギルバートとグレアム・ルイスが1980年から2年程の間にDOME、Cupol、B.C.Gilbert・G.Lewisなどの名義でリリースした作品群の、夢の底で鳴っているようなくぐもった感触のサウンドはずっとアタマの隅の方に残っていて、今でも夜中に遠くから微かに聴こえるクルマのエンジン音やエアコンの室外機の音に何となく耳を傾けたタイミングで脳内で再生されたりする。


B.C.Gilbert・G.Lewis




ノイズにまみれた音を日々浴びていた僕にとって、この2曲は自分の中でバランスをとる為にとても大事なものだった。それはパンクのシングルを聴きつつ時々10ccの“I'm not In Love"を聴いていた時と同じ意味で...。

キャバレー・ヴォルテールやスウェル・マップスを出していたラフトレードから何故か元ソフトマシーンのロバート・ワイアットのシングル"At Last I am Free"がリリースされた時、頭の上にクエスチョンマークが立った状態で針を落としてみたのだけど、その曲の美しさに驚いて5回繰り返して聴いた(シックのカヴァーだというのは後で知った)。まぁ同じラフトレードから出ているスクリッティ・ポリッティなどとの音楽性の繋がりを考えるとちゃんと筋が通ってるとも言えるし、ラインナップの中にこういう想定外のものを仕込むことは、レーベルをやる面白さのひとつだろうなと思った。


Robert Wyatt




ホルガー・シューカイの"Persian Love"を聴いたのは、PILが影響を受けているというのをどこかで読んでカンをつまみ聴きしている頃。ちょうどホルガー・シューカイのソロが出たので、さっそく聴いてみたのだけど、どこにも存在しない場所へのノスタルジーとエキゾチズムに胸を締め付けられるような"Persian Love"が飛び抜けて素晴らしく、コレも5回くらい繰り返して聴いた。


Holger Czukay


ロバート・ワイアットの"At Last I am Free"とホルガー・シューカイの"Persian Love"の残念なところとイイところは、どっちも曲の終わり方が何ともあっけなく、余韻を残さないところかと、そう聴く度に思う。