80年代後半に聴いていた曲についての記憶メモ

少し前にtwitterに記したもの載せておきます。『Missing Link』に収録した曲を作っていた80年代後半。その頃に聴いていた曲についての記憶メモ。BGM『Back Ground Music』のレコーディングをした1980年頃に聴いていた曲についても後日アップしようと思っています。



1983年リリースのキャバレー・ヴォルテール12インチ。キャブスはインダストリアル期、エレクトロ期も含めてあまり好きな作品は無いのだけど(その後の90年代初頭にリチャード・カークがやっていたスウィート・エクソシスト名義の数枚の12インチは素晴らしい)、これはジャケにFutura 2000を起用という意外性も含めて引っかかるところがあり時々聴いていた。90年代半ばのMo' Waxとかの方向性を先取りしていたとも言えるキャブス的に曲解したヒップホップ。



ヒップホップは映画『ワイルド・スタイル』の初上映にも行ったし、気にはし続けていたものの特別のめり込む程にはならなかった。でも、黒人のドラムマシンの打ち込みの独特の間合いに魅かれて時々エレクトロは買っていて、この上音が無かったらいいのにとか脳内で編曲したりしつつ聴いていたのだけど、たまたま買ったこのレコードの構成要素は異様に深いリバーブのかかったドラムマシンとラップとスクラッチのみという潔さ。結果的にかなりアヴァンギャルドかつヤクザな空間を生み出していて、極個人的にヒップホップに求めていたモノはコレだなと思った。



1988年、キース・ルブランの2ndソロから。自分はON-Uとタックヘッド経由でルブランを知ったタイプ。そして自分としてはタックヘッドよりもソロ。ドラマーがドラムマシンとサンプラーを扱うとこうなるという当時の好例かと。この頃、買うレコードはほぼダンスミュージックの12インチばかりになって来ていたけど、キース・ルブランの1stや2ndは良く聴いていた。



リズムが直線的過ぎて苦手だったEBM系より、このビートとベースの方が個人的にはエレクトロニック・ボディ・ミュージックというイメージだなとか思いながら聴いていた1988年。一方アシッド・ハウスという言葉にピンと来て色々12インチを買うもののハズレを引き続けてた頃。



その後シカゴのアシッド・ハウスを聴き進めていくうち、ジャーマン・ニューウェーブのリエゾン・ダンジェルーズによる1981年のアルバム収録曲のコレ(リリースされてすぐ買って以来繰り返し聴き続け、80年代の自宅トータル再生数が最も多い曲かも)とかと底に流れているものは同じだと感じて一気に自分の中で繋がった。



リズム主体の曲を聴く一方でノクターナル・エミッションズのこのアルバムも夜、部屋に良く流していたのを思い出す。ノイズ系のアーティストがリチュアル・ミュージック的ダーク・アンビエントにシフトする傾向にあった87年頃の作品。



今でも時々聴くし、DJのオープニングに使ったりもする元ワイアー、元ドームのブルース・ギルバートによるソロ2nd1曲目。アンビエントやニューエイジという枠にキレイに収まる曲を聴いても中々リラックス出来ない自分にとって、この辺りが最も落ち着く音楽かもしれない。



プリンスに関しての個人的興味は1987年の"Sign 'O' the Times"1曲に集中している。無駄を削ぎ落として完璧にデザインされたポップミュージック。この路線の発展型は結局聴くことは出来なかったれけど、 プリンスの膨大なストックの中に眠っていたりするのだろうか。



自分が受けた影響の大きさでいうと、70年代から80年代前半までのイーノとコニー・プランクの存在はでかい。極論すればポストパンクやニューウェーブとかも、プロデューサーとして関わっていた彼らの音響工作の部分を自分は聴いていたのかもしれないと思う時がある。


ソロアーティストとしてのイーノの作品で特に好きなのは、アンビエントに移行する直前の『Before and After Science』(1977)のA1とA3。イーノは801LIVEで"Tomorrow Never Knows"をカヴァーしていたけど、この「No One Receiving」は、そのビートルズのサイケな感触をモノクロームに変換した感じ。



イーノのノン・ミュージシャン的センスでテクニシャン達の演奏を指揮/操作して編集する「No One Receiving」や「Kurt's Rejoinder」は、その後のトーキング・ヘッズの『Remain in Light 』やバーンとの共作『My Life in the Bush of Ghosts』へと繋るプロトタイプのように思う。



あと『Music for Films』(1978)の中で、この曲だけ繰り返し聴いていた。



コニー・プランクが裏方ではなく主導権を握って制作したと思える1983年作。80年代に聴き続けた曲というと、この"Pitch Control"とリエゾン・ダンジェルーズの"Peut Etre ... Pas"で、自分が80年代末にアシッドハウスやデトロイトテクノと出会うことになるのは当然の成り行きだった気もする。



将来の夢とか具体的に考えたことがなかった自分にとっての数少ない夢がコニー・プランクにプロデュースして貰うことで、それは彼が亡くなる1987年に叶わぬ夢となってしまうのだけど、その1987年頃というのはサンプラーなどの機材が急激にコストダウンして自宅録音の可能性が一気に進んだ時期でもあり、これは「自分でやれ」ということだと解釈して嘗ての夢に別れを告げた。考えてみると『Missing Link』に収録した曲の大半は1987年からの数年の間に録音したもので、割と1987年というのは重要な年だったのかもしれないなと今になって思う。